廉価のブランド戦略

「ワケあって安い」。

たぶん30年以上前の、無印良品のコピーである。見事なブランドプロミスであると思う。

私が新卒で入社し1年目に担当したのが西友であった。無印良品はその西友のひとつ部門としてスタートしたと記憶している。

無印良品」、まさにそのコンセプトは時代の先端だった。たしか当時、セゾングループという堤清二率いる企業集団にそれこそ時代を代表するクリエーターが集っていた。無印良品はそのクリエーター達のアイディアから誕生したとも聞いているが、プロミスは「廉価」であることだった。しかしそれは単純「安い」のではなかった。「安かろう悪かろう」という言葉があるが、それを覆すのが「ワケあって安い」であった。

その「ワケ」とは、例えば「中間流通を抜く品揃え」、例えば「自社で生産と直接結びつく商品」、例えば「マーケティングコストの圧縮」などなどであった。値段を釣り上げている要素を取り除き、質の高いものを提供する・・・という姿勢が市場を動かした。今では当たり前だが、プライベートブランドの先駆者であったのだろう。

また「無印良品」は、西友のひとつ部門であり、インターフェイス西友という安売りスーパーであった。今でこそショップとして成立しているが、初期は西友のコーナーでしかなかったのだ。そう考えると、「安い」を売りにしているスーパーだからこそ、違う角度の「安い」を扱うという発想にたどり着いたのかもしれない。だが、西友が開発したのは「無印良品」以外に「食の幸」など他のプライベートブランドがあったのも関わらず、これだけが生き残っているにはそれなりの「ワケ」もあるのだろう。たぶん、その答えが、著名にクリエーターによるイメージコントロールであったと考える。

ちょっとしたエピソードを紹介しよう。私が西友担当として無印良品のPRの仕事をしていた30年前の話である。商品は「シルクの生成りのパジャマ」。西友の商品開発担当が中国を探し回り独自に絹の仕入れをして9800円という価格で売り出したものである。たぶん当時として「シルク」が9800円は安かった。この商品をある女性誌でタイアップ広告展開をすることになった。「夫婦で着る」というメッセージである。タイアップであるから編集が原稿をつくる。もちろん撮影もやり、上がってきた原稿の写真が、夫婦がシルクのパジャマをペアルックで見つめ合っている、ものであった。そこには夫婦の絆のようなものと、ちょっとした愛情が表現されていた。しかしこの原稿は無印良品側からNGがでた。その理由は「愛情が出すぎている」というのである。私はこの理由を編集に「いやらしい表現なのでNG」と伝え、編集から無印良品にクレームが入り、広告代理店として窮地に追い込まれたのを今でも忘れない(これは余談)。無印良品のテーストは「シンプル」であり、そこに「愛情」という要素はいらないかったのである。言われてみれば確かにそうなのだろう、今でも苦い思い出である。この時に初めて、デザインテイストという「目に見えないが重要なこと」を学んだ。

無印良品」がここまでも大きくなった最大の理由は「シンプルなおしゃれ感」と「廉価」の融合であると思う。30年という時を経てもデザインテイストは変わらず一貫している。そしてこの時間軸のなか商品、カテゴリー、サービスの拡張から「無印良品」というブランドをさらに強固なものにしている。
カテゴリーのなかでは廉価であっても、そこに理由が存在しシンプルななかにおしゃれ感を演出している「無印良品」はきっと価格プレミアムが発生しているブランドになっている。ブランディング観点からすると「無印良品」は「廉価をブランド化」した、まさにハシリである。

その後登場したユニクロもそれに近いものがあると思うがこれは別の機会に論じてみたい。

ブランド戦略とVI

渋谷の109のロゴが変わるらしい。

渋谷が今再開発のなか大きく変貌しようとしている。周囲のハードが先端になるなか、「VIでも変更しよう」というのは頷ける。そのような背景のなかプロ、アマ問わない公募でデザインを決めるようだ(正直、裏側はどうなっているのかは別の話である)。最近、VIをコンテストで決めるケースが目立っているような気がする。その最たる例が、あの問題になったオリンピックだろう。

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さて、このようなVIを公募するというやり方・・・時代なのだろうか?私が古いのであろうか?いささかブランディングの観点では疑問を持ってしまう。なぜ、事業の思いを込め、ブランド戦略の凝縮し、ブランド資産を蓄積する「器」となるVIを人に任せてしまうのか?デザインを開発するためのインプットする情報として、渋谷の将来像、そこにおける109のレゾンデートル、さらにはそれ故のターゲット戦略やポジショニング戦略、それらが公募で説明されていればまたそれはそれで納得なのだが、その戦略図もないままにVIを公募する、そこにブランド戦略の意思があるのだろうか?

もちろん、自分たちが思い描いているブランド戦略に公募されてきたデザインの合致性で選考するやり方もあるだろう。また、もうブランド戦略から考えてもらい、「ああ、そういうこと」のように選択視点がないままに直観を頼りに決めることもあるのかもしれない。しかし、やはりブランド戦略にはそのブランドのオーナーの強い意志が必要だと私は思っているし、VIはブランド戦略が最終的に「結実」されたものであって欲しいと考えてしまう。だから、ブランドオーナーの責任もそこで明確になる。誤解を恐れずに言うなら、公募の方法はブランドオーナーが責任を放棄しているのではないか思う。

ブランドはブランドオーナーの意思のもと「ブランディング」というINGのプログラムによって成果が表出されて構築されていく。近道はない地道な行動である。VIは「ブランドシンボル」としてその成果の評判を蓄積していくものである。

109ロゴが公募でどのようになるのか、楽しみにしたい。

危機時のブランド戦略

2000年、雪印乳業が起こした集団食中毒事件。

約一万四千人の被害と報じられた。これにより、各流通は雪印商品を撤去し、経営的に大きなダメージを負うことになる。さらに2003年、同グループの雪印食品が牛肉偽装事件を起こす。この二つの事件によって雪印グループは解体することになった。雪印乳業の市乳部門は「日本ミルクコミュニティ」を設立し牛乳ブランドを「メグミルク」とし、パッケージも白地に青から、赤字に白と一新された。まったく別ブランドを立ち上げたのだ。

この一連の事件の原因や経緯などが書かれたサイトは数多くある。もちろんこの事件を起こした企業体質は許し難いものである。しかし、ブランド戦略が論じられているのは見たことがない。先日、スパーマーケットで「メグミルク」が「雪印メグミルク」になっているのを見たとき、「やはり、雪印ブランドを復活させたいのか」と一人思ってしまった。ここでは、「雪印」のブランド復活をテーマに考察してみたい。

私はその事件後、意識的に雪印関連の商品を購入していない。牛乳、チーズ、バター、マーガリンなどなどである。実は事件前は雪印のチーズが大好きであった。しかし、他社ブランドに切り替えた。この心理は別に「商品が信じられない」というものではない、「あれだけの事件を起こしたのだからもうないだろう」という思いが強い。では何故購入しなくなったのか、それは当時、雪印メグミルクにブランド移行させたやり方に対する不満であったように思う。

雪印」のブランドではどうしようもなくなった。だから「メグミルク」にブランドを変えた。きっとブランド戦略としては正しかったに違いない。乳業という事業、そこに雇用されている人たち、さらにその先にいる生産者・・・その生活を思えば、「雪印」というかつては輝いていたブランドが、傷つきボロボロになっている状況でその旗を立てて置くことはできないという判断だったのだろう。そして、事業継続をするためには雪印ブランドを捨て、あえて新しいブランドをたて消費者や流通にアプローチすることを選択したのだろう。

しかし、もう一方で「雪印」ブランドをそのままに、イメージを変える努力をするやり方もあったのではないかと思う。たぶんそれは「いばらの道」かもしれないが、事件を起こしてしまった「責任ある」立場として、また「雪印」ブランドの文脈として、きっちりと向きあうこともブランド戦略の選択肢のひとつであったと思われる。

どよのようなシミュレーションが行われたかは、わかるはずもない。しかし、「雪印」をサンクコストにした判断は経営の数字的には理解できるが、哲学としては私にとっては理解しがたいものであった。素直に、企業責任よりテクニカルな「逃げの一手」をとったように見えたのだ。

そして数年が経過したのち、「乳価高騰などが影響して2009年1月27日、雪印乳業日本ミルクコミュニティ経営統合を発表、両者が共同株式移転を行って、雪印メグミルクが共同持ち株会社として創設された」ということだ。

さて、私はこれを実質的な「雪印」ブランドの復活だと感じた。禊は終わった、だから「雪印ブランドよ、もう一度」なのか?それは、一部の人間の「雪印」に対する愛着の結果なのか?「雪印」のなかに過去の事件に対する思いはあるのか?

できるなら、このあたりを徹底的に取材してみたいものである。

それぞれのブランド戦略

トヨタのCMのエンディングから企業ロゴとショルダーコピーがなくなっている。気が付いたのは1年前ぐらいからであろうか?記憶にあるのは「Drive Your Dream」・・・きっともっと別のものがあったとも思うが・・・。

ブランディングという作業にとって、企業ロゴのショルダーコピーはブランドプロミスを示す役割としてとても重要である。

ブランドとは、企業が市場に対して約束すること、約束し続けること、その約束を行動に移し、そこから評判が生成されるところから発生する。ゆえに、ショルダーコピーはブランド戦略が集約化したものであると捉えることができる。

さて、話をトヨタにもどうそう。TVCMから企業ロゴとショルダーコピーが消えたこと、それはすなわち日本の市場で「企業ブランド戦略をやめた」ことを意味するはずである。

企業ブランド戦略とは、企業の記号(ここではロゴ)に評判を蓄積し、その企業の部ブランドの傘の下、その文脈にもとづき商品ブランドが展開される構造である。

トヨタでいうなら「Drive Your Dream」~あなたの夢を運ぶ、トヨタです~という「ブランドプロミスのもと、さまざまな車種がそれを実現する「クルマ」として位置づけられ、性格づけがされる設計になる。もちろん、その「夢」を実現するための技術訴求、例えばハイブリッドカーのような、が企業ブランドを推し進める一助となる。そのなかで、いろいろなユーザーの夢(もしかしたらシーン)に対応する多様な車種という応えを用意するのだ。また、車種のメッセージがブランドプロミスの行動となり具体性を帯びることで評判化し、企業ブランドをさらに強いもにする。それがまた別の車種をエンドースメントする。

いうならば、企業ブランド戦略とは、ブランド連鎖戦略とも言える。

さて、企業ブランド戦略をやめた、であるなら、たぶん車種ブランド戦略にシフトさせたということが言える。企業ブランドという「ブランド連鎖」の要を外し、個別のブランド力で勝負する決断をしたようだ。それは「レクサス」「ネッツ」のようなチャネルと車種(群)を統合したブランド戦略、カテゴリーブランドとでもいうのか?にシフトさせたともとれる(それにあてはならない車種はどうするのか?)。

この背景になるのは、ひとつに日本という国においてトヨタブランドを推し進めることの無意味?さ、があるのかもしれない(日本においてトヨタはあまりにも大きな存在であるが、市場としては決してオイシイモノではなくなている)、また、ダイハツ、スズキ、スバルとの提携戦略が進むことで、あえてトヨタ企ブランドを露出させない選択をした可能性もある。また、内部要因として車種やカテゴリーを推進する力が強くなっているのかもしれない(それは逆の意味では統制力の疑問となる)。

いずれにせよ、トヨタの企業戦略が曲がり角にきていることが、企業ブランドを訴求をやめたことから垣間見れる。

さて、日本におけるライバル日産はどうか?相変わらずの「やっちゃえ、日産」という企業ブランド訴求、戦略の選択肢が分かれたと見るのは私だけか?

 

ふたたび、「ブランド」へ

 10年ほど前、ブランドコンサルの仕事していた。
とっても面白い仕事だったのですが、リーマンショックを機にその世界を去った。

当時の日本は緩やかな経済成長にあり、企業は自社のアイデンティティをいかに高め、成長の波になるか、が課題であったように思う。そのようななか、企業がブランドを意識しそこににお金を費やすことを惜しまなかった、そんな時代でもあった。

ところが、リーマンショックはそのような環境を一変させ、ブランドよりセールスという舵を一気に切った。もちろん、それは経営レベルの判断として、どちらかを選ぶものではない。しかし、ブランドに費やされる費用は削減され、小さなブランドコンサルの会社はひとたまりもない状況に追い込まれた。

また、それは私たちだけではなく、成長を一緒にしようと約束していたクライアントも同じ運命(いや、従業員の数が多いので私たち以上です)を辿ることにもなった。

で、私はブランドの「仕事」をあきらめた・・・。

月日がたち、先日あるブランドコンサルが設立依頼「初の高利益」という話を聞いた。この10年でブランドコンサル会社の勢力図やブランドコンサルそのものの仕事の質が変貌したのだと思うが、私のなかにあった「ブランド」への思いがムクムクと沸き上がり、今世に出ているブランド、そして企業や団体のブランド戦略を自分なりの視点で考察してみたいと考えている。

このブログは日々私が接触するブランド接点から企業や団体のブランド戦略を、時に妄想を含み、できれば継続的に解釈する場にしたいと思っている。