危機時のブランド戦略

2000年、雪印乳業が起こした集団食中毒事件。

約一万四千人の被害と報じられた。これにより、各流通は雪印商品を撤去し、経営的に大きなダメージを負うことになる。さらに2003年、同グループの雪印食品が牛肉偽装事件を起こす。この二つの事件によって雪印グループは解体することになった。雪印乳業の市乳部門は「日本ミルクコミュニティ」を設立し牛乳ブランドを「メグミルク」とし、パッケージも白地に青から、赤字に白と一新された。まったく別ブランドを立ち上げたのだ。

この一連の事件の原因や経緯などが書かれたサイトは数多くある。もちろんこの事件を起こした企業体質は許し難いものである。しかし、ブランド戦略が論じられているのは見たことがない。先日、スパーマーケットで「メグミルク」が「雪印メグミルク」になっているのを見たとき、「やはり、雪印ブランドを復活させたいのか」と一人思ってしまった。ここでは、「雪印」のブランド復活をテーマに考察してみたい。

私はその事件後、意識的に雪印関連の商品を購入していない。牛乳、チーズ、バター、マーガリンなどなどである。実は事件前は雪印のチーズが大好きであった。しかし、他社ブランドに切り替えた。この心理は別に「商品が信じられない」というものではない、「あれだけの事件を起こしたのだからもうないだろう」という思いが強い。では何故購入しなくなったのか、それは当時、雪印メグミルクにブランド移行させたやり方に対する不満であったように思う。

雪印」のブランドではどうしようもなくなった。だから「メグミルク」にブランドを変えた。きっとブランド戦略としては正しかったに違いない。乳業という事業、そこに雇用されている人たち、さらにその先にいる生産者・・・その生活を思えば、「雪印」というかつては輝いていたブランドが、傷つきボロボロになっている状況でその旗を立てて置くことはできないという判断だったのだろう。そして、事業継続をするためには雪印ブランドを捨て、あえて新しいブランドをたて消費者や流通にアプローチすることを選択したのだろう。

しかし、もう一方で「雪印」ブランドをそのままに、イメージを変える努力をするやり方もあったのではないかと思う。たぶんそれは「いばらの道」かもしれないが、事件を起こしてしまった「責任ある」立場として、また「雪印」ブランドの文脈として、きっちりと向きあうこともブランド戦略の選択肢のひとつであったと思われる。

どよのようなシミュレーションが行われたかは、わかるはずもない。しかし、「雪印」をサンクコストにした判断は経営の数字的には理解できるが、哲学としては私にとっては理解しがたいものであった。素直に、企業責任よりテクニカルな「逃げの一手」をとったように見えたのだ。

そして数年が経過したのち、「乳価高騰などが影響して2009年1月27日、雪印乳業日本ミルクコミュニティ経営統合を発表、両者が共同株式移転を行って、雪印メグミルクが共同持ち株会社として創設された」ということだ。

さて、私はこれを実質的な「雪印」ブランドの復活だと感じた。禊は終わった、だから「雪印ブランドよ、もう一度」なのか?それは、一部の人間の「雪印」に対する愛着の結果なのか?「雪印」のなかに過去の事件に対する思いはあるのか?

できるなら、このあたりを徹底的に取材してみたいものである。