ブランディングのデジタル化 その2

デジタルメディアはあくまでもツールである。

PCのディスプレイしかり、スマートフォーンのディスプレイしかり・・・である。では、OOHはどうか?Out Of Homeのメディア全般を指すが、やはりアナログから変わってもツールはツールである。

メディア論的にデジタルメディアを捉えるならば、マークルーハンが言う「メディアはメッセージ」の名言の通り、デジタルメディアを使っていることが「ある意味メッセージ」になっていると言える。それは、「先進性」「先見性」「先取り感」「合理性」「効率性」・・・などなどあろうが、そのデジタルメディアを使うことに意味を持たせるということなのだろう。

一方、今のデジタルメディアの使い方は実はそこに重きを置いてはいない。ここから先は噂話と創造の域をでないが、そもそもデジタルメディアとくに「運用型」の発生がメディア論とは違う次元からスタートしている。その起点は、リーマンショック後であり、金融系のエンジニアがメディアに「入札」を持ち込み、効率性を背景に「アドテク」の名のもとで進化していると聞く。であるから、そこには「メッセージ」というコンテンツは介在しておらず、「物理的なメディア」が先行したのだと考える。だからそこには「メッセージ性」は含まれてこない、旧来の広告屋からするととても味気ないものになっている。

さて、本題としてはデジタルメディアでブランディングは可能か?を論じたいたのであるが、たぶん私は「不可能」であると結論づけてしまう。

GoogleAmazonなどブランドができているではないか?という主張もあると思う。では、逆に「あなたはgoogleが好きですか?」「あなたなAmazonが好きですか?」と問われてどのような答えを持つだろう?その反対側に、「あなたはAppleが好きですか?」と問われてどのように回答するだろう?

一概には言えないとも思うが、GoogleAmazonを使ってるのは、「好きとかそういう次元ではなく、便利を極めているから」ではないだろうか。その絶対的な「大きさ」に敬意を持っているからではないだろうか。だが、その二つの企業に「共感」できているとはいえないのではないか。それにならぶIT企業のAppleは「好き」に人は本当に好きで、その違いは企業の持つ「姿勢」への共感があるかないか、Appleに至っては、やはりジョブズという強力なパーソナルアイデンティティが人々に対して情緒的価値を形成していると考えるのが妥当であろう。言ってしまえば、GoogleAmazonを凌ぐ機能価値の企業が現れたら、きっとブランドスイッチは容易におこる。が、Appleファンはそういうことにならないのであろう。

やはりブランディングにおいて大切なのは、企業姿勢であり、その継続性である。企業姿勢をメッセージとして伝えるとき、そのメッセージを伝えるにふさわしいコンテキストを有するデジタルメディアがあればそれを使えばいいいだろう。一般的に現在のデジタルメディアとの付き合いは、ブランドを語るまでの成熟に至っていないと思える。たぶんこの先効率論に限界がくることは明らかで、そうなったときにブランディングのデジタル化は議論というか争点になると考える。